【9/16-17合宿報告】傷ついても傷つけても、それでもあなたが大切だから


言葉にしたくない、って思った。


プロセスワークの場はいつも言葉に詰まるけど、殊更言葉にはできない。

言葉を超えていく体験が、いくつも生まれたから。


9月の合宿は、それだけ大切だった。


日頃言葉を扱っているからこそ、言葉にした時にこぼれ落ちるものがあると知っている。言葉は体験も空気も丸ごと含めないから、仕方がない。 


でもそれさえも勿体無いと思ってしまうくらい、本当に大切な、繊細なものや柔らかいものがいっぱいに含まれた、芳醇で繊細で美しい時間だったんだよ。


ないものとして扱われ続けた小さな声がやっと、本当にやっと聴かれて、言っちゃダメだと抑えていた声が放たれて、それらは大切に受け取られた。あれはきっと、望まれていた時間だった。


そんな瞬間瞬間が、僕らを葛藤の先へ、つながれなさの先へ、連れて行った。


人が大切にされ、人を大切にした瞬間がいっぱいに詰まっていた2日間だった。


それを味わうだけで、今でも涙が滲む。


だから書く。書ききれないことをわかっていながらも、少しでもこの質感が残っていてほしくて。



今回の合宿の、始まりの物語を話しておきたい。


合宿に掲げたタイトルは、「LGBTQ+と現場に立つアライに贈る ディープデモクラシーへの扉@大阪「葛藤・つながれなさ」の先へ」。


実はこれには前日譚がある。


昨年2022年9月に、初めてLGBTQ+と現場のアライ(仲間・味方)を対象に、企画を実施した。


そこで僕らが目にしたのは、互いに歩み寄れない、LGBTQ+当事者とアライの姿だった。


「わかりたい、助けたい、手を取り合いたいのに、傷付けるのがこわくて踏み出せない」

「わかってほしい、一緒に歩みたいのに、信頼できない。もうこれ以上傷つきたくない」

そんな互いの声は平行線で、両者の間には深い川が流れていた。


今年も9月に企画ができるとなった時、主催の僕らが願ったことは『あの先を見てみたい』だった。


葛藤は、ある。

繋がれなさは、ある。



でもそこになすすべはないのだろうか。それでいいのだろうか。

深い断絶を前に、僕らに夢が宿った瞬間だった。



夢は重なり、共鳴するのだと思う。



それぞれの夢を重ねた人たちが、プロセスに誘われて大阪に集まった。


その道のりもまたそれぞれにドラマティックで、僕らの背中に無数の手が置かれて、やさしく支えてもらったようだった。


そうして始まった合宿。

2日間ずっと流れていた通奏低音は、

”自分を置いてけぼりにしないこと”

”自分自身を場に含めること”

だから僕も、自分を含めた。



そうしたら、言えなかった、気づいてもいなかった声が出てきた。


親子関係で、友人との間で、活動の現場で、言えなかったこと。

気づかないように、ないことにしていたこと。


それらに気づいてしまって、恐れや痛みを感じることが怖かった。

そのままもう二度と立ち上がれなくなりそうで。みんなが離れて行ってしまいそうで。



けれど

「そうしたかった、でもできなかった」

「気持ちはわかる、でもそれは痛いんだ」

それらをちゃんと引き受けて表現して初めて、味わったことのないほどの深い愛が湧き起こった。



『ほんとうはあなたを大切にしたかったのだ。たとえどれだけ痛くても。』



拒否し、怒り、NOを言い、声を上げて初めて、その奥の愛に繋がれた。


自然と手を伸ばしあった時の深い安堵と、つながれた感覚のあたたかさといったら!!



僕らは確かに、葛藤・つながれなさの先を、みんなで目撃した。


これを知ってしまったら、もうないことになんてできない。

自分を生きるって、共に生きるって、こんなに鮮やかであたたかいんだと、そこに行けるんだと知ってしまったなら。



『本当は手を繋ぎ、連帯できるはずの私たちの間に虹の橋が架かる時、それは私たちの大きな喜びとなると同時に、世界においても大きな大きな一歩となることを信じてやみません。』



僕はこの合宿のイベントページに、こんなことを書いていました。


放った願いが、まさにその通りになりました。

やっぱり世界を変えるのは、”感情と関係性”でした。



感情は、感じること。

確かにそこにあるものをあることにして、自分を自分に含めていくこと。

関係性は、役割ではなく、ひとりの人と人して出逢うこと。

ラベルではない、身体と心と温度のある、ひとりの人間同士として手を握ること。


それらの前には、切り離し分断しようとする何者だって太刀打ちできない。


我々そんな、やわじゃない。



とはいえ、深い川がなくなるわけではありません。

これからもおそらくは、何度も切り離されるから、「めでたしめでたし」ではない。

けれど学んだことは、たとえ阻まれても、双方から手を伸ばし、手をつなげるということ。



何度だって繋ぎ直しましょう。


間違ってしまっても、傷つけてしまっても。

何度だって歩み寄りましょう。

自分を相手から遠ざけたくなったとしても。

きっとできますよ。きっと。

だって僕ら、傷ついても傷つけても、それでもやっぱり、お互いが大切なんだから。


ヒロ



(写真のコピーライトはtomoni.とDayaさんにあります)



=== 実施企画 ===


■9/16(土)-17(日) 合宿形式

LGBTQ+と現場に立つアライに贈る

【 ディープデモクラシーへの扉@大阪 】

ー「葛藤・つながれなさ」の先へ ー

https://peatix.com/event/3621073/view


■9/18(月/祝) 1Day

【 Dayaのケーススーパービジョン@大阪 】

https://dayacasesv-oosaka.peatix.com/view

tomoni.

「なにひとつおいていかない」ことをコンセプトとする対話・場づくりユニット。性の多様さを含めたあらゆる違いを豊かさに。内側の感情や声を丁寧にひろい、すべてを含んで共に生きることを目指します。

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