【参加者感想】「自分と向き合い葛藤を解決していかないと、世界の葛藤と真に向き合うことはできない」【2024.7 tomoni.×Daya企画】

プロセスワーカーのDayaさんを大阪に招いての企画、第4弾のパート①を先日無事開催することができました。「LGBTQ+&アライがより繋がっていくため」というテーマからプロセスワークの基礎をリアルで学ぶ2日間。それぞれの気づきと参加者同士のつながりが生まれた、あたたかくもズッシリと残るインパクトを含んだ場でした。

その企画に参加してくださった方からの感想を共有させてください。何が起こり何を感じていたのか。個人の体験を元に、tomoni.やDayaさんがこの取り組みを大切に続ける理由が伝わるのではないかと思います。

全文掲載を快諾してくださりありがとうございます!ぜひ、必ずまた会いましょう。

企画した講座
2024年7月実施 
『LGBTQ+&アライがより繋がっていくために、分かち合いたい!Dayaのプロセスワーク入門講座』
https://peatix.com/event/3827818/

▼Dayaさんって?
Daya ( 武田美亜 )
プロセスワーカー/ 葛藤解決ファシリテーター/キャリアコンサルタント
・オフィシャルブログ「葛藤解決labo」: http://changeconflict.com/
・Facebook :https://www.facebook.com/daya.mia1
==以下感想==


読書でも講義でもない方法で、自分の未知のフィールドや無意識の領域を見たのは、ひさしぶりの体験でした。


近頃は、自分自身と世界中の人々――暴力によって尊厳を奪われている――とがつながっていることに怖さを感じる瞬間が多くありました。特に、イスラエルによるパレスチナ侵攻がショックで、毎日ニュースを見ては無力感に浸っていました。しかし、今回のワークショップで、私の生活圏内にある、あるいは遠くの地で人々の生を奪っている「葛藤」が、どのような仕組みと成り立ちをしているのか発見できたように思います。そしてまた、あらゆるつながりを連帯に変えていきたいとも思えました。

そもそも今回、私がDayaさんとtomoni.のお二人の「プロセスワーク入門」に参加した理由は二つあります。


一つは、「子ども達の体験を、自分もしなければ」というものです。私の勤務校では、入学後すぐに宿泊合宿に行き、クラスメイトに自己の困難な経験を開示するワークショップを行います。が、その意義を言語化できぬままでいました。子ども達に語らせてばかりで、自分は自己の経験と向き合えていないのではないか。ワークショップに参加すれば子ども達が体験していることを自分も体験できるかもしれない。そのような思いがありました。

もう一つは、LGBTQ+の権利や社会課題について、もう一度自身の向き合い方を考えたいと思ったからです。社会人になり、これまで出会ってきたセクマイの友人らとは会う機会が減りました(もちろん子ども達には会っているのですが)。近頃の自分は、この課題を自分ごととして捉えアクションできているのか疑問に思い、自分の考える「アライ」とは何か、改めて答えを出したいと思いました。

そんな動機をもって参加した私が、もっとも考えさせられたことは、「自分と向き合い葛藤を解決していかないと、世界の葛藤と真に向き合うことはできない」ということです。

 
私はひとり親家庭で育ち、母は叱ると暴力をふるいました。幼い頃は、母の暴力は「しつけ」であり、合理性があると本気で思っていました。しかし大学生くらいから、子どもはいかなる理由があっても大人に暴力をふるわれてはいけないということを学び、実際に暴力をふるわれていたその時よりも強く、その体験を意識するようになりました(そして、向き合わないように蓋をしてきました)。
 
今回、ロールスイッチで「自分のマイノリティ性を意識し、マジョリティ側の相手と対峙する」体験をしました。自分のマイノリティ性を問われ、私が想起したのは「ひとり親家庭で相対的貧困状態にある私」と「高校(進学校)で出会った友人」という文脈でした。

ペアの方と向き合ったとき、タイムスリップしたような不思議な感覚がありました。そして、なぜかこれまでの実生活で味わった以上の、みじめさや悲しさ、苦しさのようなものを感じました。「自分だって予備校に行ければ、もう少しいい大学にいけたのに」、「私はこんなにがんばっているのにこの人は楽そうだ……。」そんなふうに思うけれど、相手には届いていない感覚。無力感。そしてよぎる、母の姿や幼い頃の感触。

さらに、今の自分につながる感覚もありました。他者と自分を比べて「私の方が努力した」と思う癖があること。あまり人の体に触れたくないこと、一方でパートナーには依存してしまうこと……。感情や思考というより身体性が強かったように思います。

反対に、ロールスイッチでマジョリティ側(高校で出会った友人)に立った時、マイノリティである私の背景やコンプレックスは何も見えませんでした。そして、自分の生活と相手の存在は、何のかかわりもないように思えました。自分のマジョリティ性を現実の「シスジェンダー/ヘテロセクシュアル」と置いたときもそうです。体がすっと軽くなる感じがして、真剣に対話したいとは思いつつも、マイノリティ側にいたときのような切迫感はなくなっていました。

私たちは、自分のマイノリティ性については強く意識し、マジョリティに対して「無責任さ」「ずるさ」のようなものを感じてしまいます。一方で、自分のマジョリティ性については無自覚になってしまう。よほど意識しないと、つながっている実感や連帯しようという意思は薄らいでいくのだと理解できました。


また、私たちが「対話」するとき、互いのドリームランドを少しでもよく理解し、みなが対等といえるコンセンサスリアリティをつくってゆく必要があります。そのために、自分のプライマリープロセスを自覚し、セカンダリープロセスとのエッジを受容すること、他者に開かれていくことが肝要です。

私の場合、自分のマイノリティ性/マジョリティ性を自覚し、それゆえに他者に対してどのような感情を抱きやすいのか、自分がどんな感覚に陥っているのか、もっとよく理解していく必要があると感じました。そのために、自分の身に起こった過去の出来事をふりかえって、自分の弱さや「燃やしていない丸太」をケアしていくことが大切であると思いました。

プロセルワークの学びをふまえて、最初の問いに答えを出してみます。


私なりのアライとは、「これまで出会った人達とのつながりを忘れず、ともに声を上げ続ける人」です。

そしてまた、自分自身のランクを祝福し、自覚し、共有することを大切にしていきたいです。自分に与えられた特権を自覚し、それを分かち合うにはどうすればよいかを考える。また、マジョリティ側として、関心のない人たちにアプローチしていくことも大事なミッションであると考えました。

結局、当初の期待どおりに自己開示することはできませんでしたが、みなさんの語りから気づきや勇気をもらいました。たぶん泣いてしまうし、ドアが開かないように頑なに閉ざしてしまったのは自分です。別な場所で向き合って、またみなさんと学びたいと思いました。


ついつい頭で考えてしまう私にとって、身体感覚を信じて瞑想することも、あらたな発見になりました。私たちの心、思考、身体は、不可分であることを実感しました。

最後になりますが、あらたな気づきをくださったDayaさん、そして素敵な出会いの場をつくってくださったいつみさん、ヒロさん、ほんとうにありがとうございました。また必ずお会いしたいです! どうかそれまでお元気で、お過ごしください。私は私の場所でがんばります!

 
2024/07/31
▼プロセスワークの参考情報

・WorldworkLABO ランク概念
https://youtu.be/TaLBOG_BqZE

・続編:続・ランク概念<ランクについての誤解>
https://youtu.be/VPqkneTAZVo

・『[ディープデモクラシーへの扉]日常のなかのワールドワーク〜葛藤の中にみる希望と勇気』Daya著
https://daya.buyshop.jp/items/48844065


【超オススメ!】Dayaさんのファシリテーションによる学びの場 
2024/10/12(土)~10/14(月・祝)
※どなたもご参加できます※
ワールドワーク合宿2024
〜葛藤・対立を変容させていくための対話促進アプローチ〜
「ジェンダー・セクシュアリティ」をめぐる様々な声https://worldworkgender2024.peatix.com/

tomoni.

「なにひとつおいていかない」ことをコンセプトとする対話・場づくりユニット。性の多様さを含めたあらゆる違いを豊かさに。内側の感情や声を丁寧にひろい、すべてを含んで共に生きることを目指します。

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